嫌いなものが好きなもの [「へぇ~」ネタ]
ファナティック◇クライシス!!!(以下、ファナ)
どうもこんいちわ、ずみっちです。
いまや完璧青春の一ページと化してます。
実は最初かなりファナのこと馬鹿にしてました。ビジュアルがダサいとかボーカルが鼻声だとか。
そんな私がほどなくして彼らにもろハマりしようとは誰が予想できただろうか。彼らがデビューしたての頃かな。
話は変わって、毎年春になると「春高バレー」がありますね。
小学生だった私は、それのテレビ中継のせいで夕方のアニメが見れないのに怒り、「こんなスポーツを見てる奴なんていない!」と家族に当り散らしてました。
そしてこのときも、まさか数年後自分がその「春高バレー」への切符を目指すことになろうとは思っていなかったわけで。
同じような理由で嫌いだった野球中継も今ではテレビを見る主な理由と化しております。
ま、テレビ無いんだけどさ、言っとっけど。
そう。
今まで嫌いだったものに対して一度好意を持つと、その反動がデカイんです。
もちろんこれは私の場合はという話なのだが、どうもこれが私だけではないような気がしてならない。
根拠はないけど。
まぁそれはどうでもいい。
それよりこの法則はなぜだろう?と髪の毛いじりながら考えていると、こないだ新聞で読んだ心に残る一文のことを思い出した。
『もしもあなたが一人の人を過度に愛してしまったら
おそらくその人はあなたのことをそんなに愛してはくれない』
まるで私に忠告してくれてるかのような記事。思わず切り抜いてしまいました。
結局前の内容とあまり関係ない気がしてきたのだが、つまりは矛盾だらけの生き物ってことですな、人間って。
矛盾(ほこたて)も計算に入れて生きませう。
元々何が言いたかったのかやっと思い出したので追記です。追記するほどのこともないオチにがっかりしてください。
○今大好きなものは始め嫌いから始まるので、今嫌いでもココから好きになるかもしれないぞ、というのも考慮しながらものごとを見る癖がついてしまい、なんか本末転倒のような気がしていたのだが、よく考えたら、嫌いなものから好きになる要素を探るという行動は物事のいい所を探すということのなので、悪いとこ探すよりいいかな。とかって思いました。
嫌いなものがどんどん減っていったらいいのに
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